言葉
今日で東北で地震があってから、6日目
あまりの惨事に言葉を失って、全くブログが書けませんでした。
宮城にも福島にも知人友人が居ます。
東京や千葉、神奈川、茨城、山形、山梨、埼玉、静岡にも、知人友人や親戚が居ます。
幸い、福島の方は、東京の親戚を通して無事とわかりました。
宮城の方は、一人は無事とわかりましたが
もう一人はまだ無事かどうかもわかりません、
私にはなすすべもなく、無力感を感じていましたが
やっと、動き出さなければと思います。
阪神大震災の時は京都に居て、伏見区との境、宇治の木幡の中古マンションに住んでいましたが、
早朝まだ寝ていたとき、ドンと凄い揺れで目が覚めたものの、今度は激しい横揺れでベッドから起き上がれず
今までに経験したことのない凄い揺れの中、何が起こったかわからない状態で
ただただ暗闇を見つめたまま、恐怖の中、よ揺れはとても長く感じました。
おさまってから、部屋では食器棚から食器が落ちて割れていて、テレビが移動していて。
外は大変なことになったのではと思う程でしたが、それでも電車も徐行運転で遅れつつ走っており
とりあえず職場に行ったものの
お昼に仕事場でテレビでの神戸の街の状況と残骸を見て愕然としました。
信じられない光景でした。
そしてなにか、同じ関西なのに無事だった場所にいる事が、申し訳なくさえ思えました。
福岡での西方沖地震時は、今と同じ制作していた期間で
1回目は、自宅のデッキにいて、犬の毛をブラッシングしていました。
西側の方遠くから轟音が聞こえてきて、最初ブルトーザーが突っ込んできたのかと思い
狭い範囲でずっと向こうから次々に家々が揺れてきたと思っているうち、自分の家が激しく揺れ出し、しかし阪神の時ほどは長くなく、それでも、やはりとても恐怖でした。
冷蔵庫が動き、食器も割れて、外の灯油ボイラーが動いていました。
その後も、余震はちょこちょこありましたが
一月後2回目の大きい余震の時は、丁度描いているときで、自分に倒れてきた大きなパネルをとっさに手で支え、家中がぎしぎしと不気味な音を立て揺れる中、じっと揺れがおさまるまでそのまま、待ちました。
怖くとも制作する気力は失せず、友人や知人とも会わずに自宅で描き続けました。
しかし、今回は、色々なことが起こり過ぎて、本当にとても制作する気に全然なれません。
でも、変わらずに頑張って描かなければと思いました。
今から、日本赤十字の義援金振り込みに郵便局へ行ってきます。
亡くなった方々にお悔やみを申し上げます。
そして、生きている人達と、一緒に頑張らないと、と思います。
追記
そして、こんな時だからこそ、原発のことを見直す時期で、
もっと前へ進もうではなく、あと戻りする事もこれからは必要だと思います。
ずっとずっと言われ続けていた事でした。
いずれは危ないことになると。
今は、福島原発で必死に作業しておられる方達にゆだねるしか術がありませんが、
今後、原子力発電に対しての見解を国や企業に任せっきりにならぬよう、一人一人が考えていかないと
いけないと思います。
最新の技術で安全な原子力発電所を造る、増やしていくという考え方でなく
もっと安全なエネルギーの活用を、国や科学者と企業は対応推進して欲しいと思います。
下記は、たまたま知人のブログにて読んだものです。
10年以上も前のものなので変わっていることもあるとは思いますが、
心に響いたので、シェアしたいと思い貼ります。
http://www.iam-t.jp/HIRAI/pageall.html#page1
この記事に対するコメント
一刻も早くこの問題を解決しなければならないと実感します。不自由でもいいと思う。電気の使える量が減るんだったら、それなりに暮らすことを考える方が健全です。
読んでくれてありがとうです。
だいぶ以前のものなので、変わっていることもあるでしょうが、今回の事故の様子を見てると、そうあまり問題点と状況は変わってないのだな。。と思わせられました。
マスコミの対応も急に安全安全と判で押したように、NHKまでも、どこの番組でも言い出し、
あれはなんか、反対に怖かったですよねえ。
今後、変えていけたら日本にとってラッキーですよね。